雲間から長陽の太陽がぼんやりと覗いています。
今日の太陽は372年ぶりの奇跡!
一年で陽の気が極まる夏至の日に加え、蟹座の新月、そして日蝕が重なります。
そして わたくし事ですが、今日は奇しくも亡き父の二十回忌。ふと、父から、「おい!絵里よ、今日こそあの話をせんか!」、そう急かされている気がして、パソコンの前に座りました。
ここに一枚の写真があります。
恥ずかしながら我が父の、在りし日の姿であります・・・
普通に風呂上りに着替えている途中に、ふざけて家族に撮らせたものと思われます。
いつも真剣にアホらしいことをやっては、家族を失笑の渦に巻き込んでいました。
飲む打つ買うの三拍子に、油絵、野球、歌、地域ボランティアと、家計は全て母に任せて趣味三昧の日々。
怒りたいときに怒り、泣きたいときに泣き、壊したいものは全て破壊する破天荒な姿は、まるで小さな竜巻が家の中に住んでいるような感じでしたが、無心に笑った笑顔が男前で、家族はいつもそれにほだされていたと思います。
その父が突然に末期癌と診断され、もう治療の手も出し尽くされ、あとはお迎えの時を待つばかり…そんな状態のある日、病室のベッドで不意に目を覚ましてこんなことを言い出しました。
「おい!絵里よ!俺は今、あの世に行っち、凄えもんを見ちきたぞ!」
ベッドサイドで文庫本を読んでいた私はびっくりして、父にそれは何かと問いました。
「うううむ…それがの、凄えもんには違いないが…凄すぎて、この世の言葉では言えんのじゃ。」
そしてしきりと、「なぁ~んだ!そうだったのか…そうだったのか…」と、自分だけで納得しています。
私は思わず前のめりになり、父に詰め寄りました。
「お父さん!それはどんなものなん?教えてよ!」これを喋らないうちは、あの世へは絶対に行かせない…そんな意気込みがありました。
「う~ん、う~ん…そうじゃのぅ…この世の言葉に無理やりするとな…」
父は大きく息を吸い、振り絞るように、こう言いました。
「あんな、それは、《みんなひとつで、繋がっちょる》っち事なんじゃ!」
その頃の私には、父の話すことがチンプンカンプンでした。
「みんなひとつって、どういう意味?」
父は言葉を探し探し、慎重にこう言いました。
「お前はの、俺とお前は別んもんじゃと思っちょるじゃろう?」
そりゃそうです、こんなハチャメチャな父と私が、同じものだなんで思いたくもないでしょう。
「この湯飲み茶碗と机、窓の外の樹、全部違うものじゃと思うとるじゃろ?」
はい、その通りです。
「それがの、境目なんかないんじゃ。全部ひとつものなんよ。あちらもこちらもなかった。俺はこの目で見て来た!」
そして何度も何度も頷きながら、
「そうじゃ、そうなんじゃ、《みんなひとつ》、おい、絵里よ、これは忘れるな。絶対に忘れるなよ。覚えときなさい。」
そう繰り返していました。
もう一つ、父が残した言葉に、「網の目」というのがあります。
「それとな、お前のチームは無敵じゃぞ。」
ん?私のチーム?私はどこにも属していませんけど…
「チームと言ってもな、形ではない。網の目なんじゃ。」
またまた不思議ワードが繰り出されてきました。
「元は大きな一枚の布なんじゃ。ひとつの面と言っていい。それを拡大するとな、そうじゃ、顕微鏡で観るような感じじゃ、そうするとそこに、糸の交わりと交わりがあり、そこが網の目のようになっちょる。その網の目がチームメイト、最強の友達なんじゃ。そしてそれは、小さな結び目であると同時に、大きなものと繋がっちょる。海の波に切れ目が無いのと同じように。」
そして最後にこう付け足しました。
「お前は野兎のような奴じゃ。飼育小屋は似合わん。どこまでも駆けて行け!」
それだけを一気に吐き出すと、ふ~っと大きな息をして、また眠りに落ちて行き、これが最期の言葉になりました。
あの日から私は、父に大きな宿題を託されました。
「みんなひとつでつながっている」とは、どんなことなんだろう?
小さなことで一喜一憂する私たち人間には、大き過ぎる命題です。
お父さん、あれから20年が経ちました。
私はあの頃よりも、少しは「みんなひとつ」に近づけたかなぁ…
カードを一枚、引いてみました。
出たのは大アルカナの「SILENCE(静けさ)」です。
「お前、馬鹿だなぁ。死んだらどうせ分かるこっちゃ。いいから存分に、右往左往しちょけ!分かったか!シャンとせぇ!」
そんな風に、笑ってくれた気がします…
間もなく日蝕が始まります。
れべいゆ