どんよりと重たい雲が空を覆い尽くす午後、海をボンヤリと眺めていると、ふいに幾筋もの光が舞い降りて来ました。
私はこの光のカーテンを、『神様からの応援光線』と呼んでいます。
ヨーロッパの古い石造りの教会に響くパイプオルガンのように、神々しくも荘厳なる音色が、強く胸に迫って来ます。
この光を見る度に私は、「魂さん」との出会いの瞬間を思い出すのです。
もう20年以上前、当時私は福岡に住んでいましたが、「お父さんが、倒れた!すぐ帰りなさい!」という母からの電話で、取るものも取り合えず、大分の山間部にある実家近くの病院へ駆けつけた日のことです。
今まで元気そのものだったスポーツ好きな父が、突然、余命三カ月であると医師から宣告されたとき。
茫然として病室の窓から眺めた曇り空…
これからどうしたらいいんだろう?
当時の私は、古い因習に縛られ、しかめっ面をした老人ばかりが町を歩いているような退屈な故郷が、どうしても好きになれませんでした。しかも個性の強い母とは衝突することが多かったため、自分の実家でさえも居心地が悪かったのです。
ただでさえ大の苦手の病室の空気が耐えられず、窓辺に寄り添って「はぁ~…」」っと重たい溜息をついたそのとき、灰色の雲間から一筋の光が力強く差し込んだかと思うと、はっきりとこんな声を聴いたのです。
「田舎暮らし、しちゃおうよ!」と。
その時の、とっても可笑しそうな、鈴を転がしたような明るい声は、今でもずっと胸に鳴り響いています。
「えっ?今の声、誰? 田舎暮らしを楽しむだなんて、こんなときに不謹慎な…」
私はその声が、自分の奥底から響いているのが分かっていました。
そして、《田舎暮らし》というワードに、何だか胸がワクワクして来たのです。
ほんの5分前までは、絶望と不安に押しつぶされそうだったというのに。
その小さな声。
私は「魂さん」と名付けました。
その小さな声の提案に乗ってみよう!
だって他に、今の私には何も考えつかないのだから…
一瞬で気持ちが切り替わり、私は民家や商業施設が立ち並ぶ実家ではなく、思い切って山奥で、独り暮らしをしてみよう!
そしてそこで好きなことをしながら病室へ通い、父との最期の日々を大切にしよう…そんな風に心のカーナビに、行き先をしっかりと入力したのです。
「おい、絵里よ。帰りに「リガクの郷」の喫茶店に寄っちみれ。珈琲でも飲んじ来いや。」
父の言うとおりに、郷土芸能博物館に新しく出来た喫茶部で珈琲を飲んで、地元の見知らぬ人とお喋りをしました。
するとどうでしょう。
その日の夕方には、人里離れた山奥の、畑付きの古い農家が偶然借りられることになり、また、何の気なしに載せてもらった新聞記事のおかげで、県内外のあちらこちらから演奏や講演の依頼を頂戴して、沢山の方々に助けて頂いて、あの、何も無いはずの過疎の町で、私の新しい人生がスタートしたのです。
それはもう、想像を超えた展開とスピードでした。
あのとき、あの小さな ささやき声を無視していたら…
私はお決まりの悲劇ドラマのヒロインのように、不幸スパイラルの罠に堕ちて、「なんで私だけがこんな目に…」と、悲しみの沼地を這い回りながら、運命を恨んでいたかも知れません。
何につけても飽きっぽい私が、こうして毎日コツコツとリーディングを続けているのも、
最初に聴いたあの小さな声…そしてそれからの思いもよらない展開の奇跡を、知ってしまったからなのだと思うのです。
いつからでも、どんな地点からでも逆転が出来る。
縁あって繋がったあなたに、それを伝えたいからに他なりません。
世間一般で言うところの「不幸」には、同時に大きなプレゼントも隠されています。
慣れ親しんだ何かを失うのは怖いけれども、何かが去るときには、新しいものが輝かしい笑顔で待っています。
私たちの個人の力を超えた大きな存在が、いつでも手を差し伸べて、行く先を明るく照らしてくれている。
あの「神様からの応援光線」に出会う度に、私はその気持ちを、今でも懐かしく温めているのです…
れべいゆ