もしも今日が最後なら

朝7時、小さな島の中を走るバスが、入江の停留所に定刻に入ってきます。

 

「いってらっしゃい。」

「フンッ!」

 

「楽しんできてね。」

「ヘンッ!」

 

何かと気難しいお年頃の息子は、寝不足の目をクシャクシャと擦りながら、気だるそうに鼻で返事をしています。

 

めげない母はダメ押しついでに、もう一言。

 

「あいしてま~す。」

「ウヘッ!」

予想通りのお返事を、どうもありがとうね(笑)。

 

でも実は母さん、キミのために言ってるのと違うんよ。

 

もしもこれが最後に交わした言葉になるなら…

いつもどこかで、そんなことを考えている。

 

「宿題、何でやってないの!」「早く!早く!全くもう、のろいんだから。」

そんな言葉が最後だったら、母さんはずっと、天国から悔やみ続けることだろう。

 

そもそも別の人間であるキミのために母さんが出来ることなんて、

たとえ一生を懸けたって、ほんの僅かかも知れないネ。

 

 

「おやすみー!今日もね、一緒にいてくれて、ありがとう。」

「あ、はい、はい。こちらこそ、ありがとう。」

 

家人がちょっと照れて返事をします。

こちらはさすがに、反抗期の少年よりも大人の対応をしてくれますネ。

 

しかし、これもネ、実は自分自身のため。

 

明日の朝、目が覚めなかったら、人生最後に発した言葉が「ありがとう」だったら、

何だか一目散に、仏様の懐に飛び込んで行けそうです。

 

 

 

もしも今日が最後なら、あなたは大好きなあの人に、今どんな言葉を掛けますか?

 

既読スルーでも、返事がなくても、そんなのどうでもいいじゃない?

ウザいとか、暑苦しいって思われたって、少しも気にすることなんてない。

 

あなたが最後に口にしたのが、温かい言の葉だったならば、

あなたが発したエネルギーは、温かい波動を放ちながら、いつまでもどこまでも、宇宙を旅することでしょう。

 

そしてどこかで独り淋しくて、心が冷えている誰かさんの心に、人知れず優しい風を届けるかも知れません。

 

「あいしてます。」

「ありがとう。」

 

今日一日、悔しい思いをしても、

自分を責めても、

誰かを恨んでもいい。

怒っても泣いても、喚いてもいい。

 

でも一番最後には、他でもない自分自身のために、

 

「あいしています。ありがとう!」と呟いて、

今日一日という人生をキチンと終わらせて、

 

また明日、元気に目を覚ましましょうー!

 

 

れべいゆ