このストールとも、かれこれ30年のお付き合いとなりました。
沖縄に住んでいた頃、繭の紡ぎ方、糸の結び方から手取り足取り教えていただき、最初に織り上げた一枚です。
八重山上布、手紬の絹糸、草木染の木綿糸を、心の赴くままに自由に横糸として入れていきます。
まだ20代だった私は、このストールを上手く使いこなすことができませんでしたが、白髪が混じる年頃になってようやく、自然な感じで巻けるようになって来ました。
かなり大ぶりの織機を二台並べて、パタン、パタンと踏み木を鳴らしながら、先生からいろんなお話を伺いました。
ちょうど今時分、爽やかな≪うりずん≫の風が、窓際のタペストリーを揺する頃だったと思います。
入院中のご身内を見舞った帰りの先生は、器用に横糸を滑り込ませながら、こんな話を始めました。
第二次世界大戦中、先生のご身内は学校の教師で、その日も女生徒たちを引率して、戦火を逃れて防空壕の中に避難していらしたそうです。
爆音と銃声がごく近くで響き、炎の熱さが迫り、壕の中は恐怖と焦りが募り、いたたまれない空気が満ちていました。
その時、一人の教師はこうおっしゃったそうです。
「外へ出ても、捕虜にされて辱めを受けるかもしれない。どんな暴力を受けるかもしれない。それぐらいだったらば、今ここで、みんなで一緒に命を終えよう。」と。
そして先生のご身内は、こうおっしゃいました。
「もしここで命が尽きるのであるならば、最後の最後に、人を信じて死のう。」と。
結果、最後に人間を信じることに賭け壕の外へと出た教師のクラスは、全員無事に終戦を迎えることが出来たそうです。
「私もね、この話は、生まれて初めて今日、聞いたのよ。」先生はそれ以上、何もおっしゃいませんでした。
こんな宝物のようなお話を聴かせていただいて、私も驚きと感動で何も言えませんでした。
最後に人を信じて死のう…そんな風に言える人がいるなんて…
私の中で、長年解けなかった封印が、一瞬にして吹き飛ばされるのを感じました。
先生のご身内の方は天寿を全うなさり、その後程なくして、この世を旅立って逝かれました。
私は30年経った今でも、このストールを見る度に、その時の話を思い出すのです。
信じる、ということは、深く暗い疑いの谷を飛び越して、向こう岸へと一気に飛び移るようなもの。
何か証拠があるから信じる、のではなく、自分が人間としてどう生きたかの証のために、ただそれだけのために命を懸けること。
そこには一点の曇りさえもありません。
迫り来る敵兵を信じることは、ハードルが高いかもしれません。
そしてもちろん、オレオレや詐欺商法は信じちゃダメです。
でも、自分が愛する人ならば、
私は阿呆のように、信じて、信じて、信じ抜こうと思うのです。
その人が、私の願い通りに生きて行くことを、ではありません。
どんな道を辿ってでもいい。私と一緒でなくてもいい。どこに居て、誰と一緒に生きても、あなたが天命を真っ直ぐに生き、自分の力で、自分らしい幸せを手にすることを。
そして私が死んだ後に、
「ああ、彼女は、最後まで自分を信じてくれていたなぁ」
そう思ってもらえたら、それだけでもう私は、何を残せなくってもいい。
この世に生きた甲斐が十分にある…
そんな風に思うのです…
信じたいのに、信じられない。
そんな苦しいときには、私達は何かを恐れています。
そんなときはどうぞ、魂さんと向き合って下さい。
あなたを縛る恐れと向き合い、思い切って手放すとき、あなたは今まで見たことのない風景に出会います。
そして身体の底からムクムクと蘇るパワーに、きっと圧倒されることでしょう…。歓びと共に!
10連休が始まります。
ステキなGWを!
れべいゆ