去年の夏の終わりに我が家にやってきた、ネオ、推定年齢8カ月です。タロット庵に遊びに来ては、仕事の邪魔をしてくれてます。
ちなみにコチラが、来たばかりの時のネオくん。港に停車していたトラックの下で、息も絶え絶え、小さな声で息子に「ネオゥ...ネオゥ…」と呼びかけて来たそうです。
閲覧注意なくらいにガリガリに痩せこけ、全身ダニとカビだらけ。目ヤニが固まり、くしゃみ連発。その上大量の蚤にたかられて、ご飯を食べる気力さえもありませんでした。
「お前は本当に器量が悪いねぇ...」今までただの一度も、他人の容姿を貶したことのない夫が、思わず溜息をついたほどなのでした。
そのネオも元気になり、すっかり我が家の一員となったのですが、息子がつくづく呟くには、
「ネオってサ、どこが優れているかとか、血統書があるからとか、何か出来るから、とかじゃなくて、ウチの子だから、もうそれで可愛がられるんだよね...」
そうなんです。我が家に存在している。それだけでもうネオは、未来永劫、最大限に愛される価値があるんです(息子よ、実はキミもそうなんだよ)
もう十数年前になるでしょうか。
自死を選ばれた高校生の、お母様をリーディングさせていただいたことがあります。
その時の私は涙でのどが詰まり何も言えなくて、ただただお母様と一緒に泣きました..…
彼女の壮絶な悲しみの前では、どんな言葉も空回りして砕け散ったことでしょう…。
「今はもう、何も望まない。ただ、もう一度だけ目の前に現れて、お母さん、って呼んでほしい。一度でいいから、会いたい。会いたいです。」
その時のお母様のことを、私は一生、忘れません。
私たち母親は、子供にいろんな期待を抱きます。
それは子供には、将来、幸せな生活をして欲しいからに他なりません。
でも、一方で、ただただ子供の笑顔に、もう一度だけ会いたいと。
それだけが願いだと、号泣なさる人もいます。
きっとこうしている今、この時も、泣いていらっしゃる方がいることでしょう。
その人の悲しみを、私はそっとお裾分けしていただいて、
今も大事に胸のポケットに入れています。
そして、ことあるごとに、
例えば子供に、親の期待や価値観を押し付けそうになった時など、
ポケットに仕舞った大事な宝石を触って、いつもそこにあることを確かめるように、
何度も、何度も、
このお母さんの号泣を思い出しています。
今、受験や就職の季節を迎え、私たち親も何かと悩ましい時期を迎えました。
本人の希望の良い学校に進み、生きがいのある仕事に就き、良い相手と結婚をして、幸せな一生を歩んで欲しいと願う気持ちが、最大限に高まります。
でも、本当は、キミがそこにいるだけで、
我が家に生まれただけで、
お母さん!と笑顔をみせてくれるだけで、
それだけでもう、十分に幸せなんです。
今、子供への期待で苦しんでいるあなたにも、
今日はこの宝石を、お裾分けしたいと思います...。
れべいゆ