毎朝目覚めると、夏休み初日の子供のように、嬉しくて飛び起きます。
特別何があるという訳でもないのですが、朝というだけでワクワクするのです。
シャワーを浴びて身体をリフレッシュしたら、お白湯を飲みながら朝日を浴びます。
家の中を眺めると、脱ぎっ放しの衣類、ゴミ箱から外れて転がった紙屑、流しには洗っていないコップ類、洗濯カゴに山盛りの汚れもの、などなどが目に入ります。
私は「私」に、ごく簡単なミッションを与えます。
①物は所定の場所へ。
②要らないものは捨てる。
③汚れたものは洗う。
考える間もなく、身体が滑らかに動き出します。
衣類はハンガーに、紙屑は残らず集め、流しをキレイに洗い、洗濯機のスイッチを押しました。
まるでお掃除ロボのように自分の身体が次々とミッションをこなしていくのを、私は面白そうに眺めています。
次に畑に向かい、朝食のサラダのためのキュウリをもぎました。
トントンと輪切りにすると、キュウリが一斉に何かを呟いています(笑)。
以前はこんな風には行きませんでした。
「ああ!また靴下がこんなところに!誰が片付けると思ってるのよ。」
「仕事が山積みだというのに、朝からやらなきゃいけないことが沢山!」
「なんでいつも時間が無いんだろう?あー、イライラする。」
こんな風に感じて、せっかくの爽やかな朝に、怒りながら家事をすることもしばしばです。
いつのまにか、まるでマジンガーZに乗った兜甲児のように、指令に沿って動くホンダエリさんという身体に乗って、一日中、いろんな体験を楽しむように変わって来たのです。
ふと、それは何故なんだろう?と考えました。
おそらく毎日、毎日、休み無くほぼ一年中、カードを読み続けることで結果的に心のお片付けが進み、物事を観察する習慣が、徐々に身について来たのではないかと思うのです。
そうすると”私”、というものは何か?というと、さまざまな出来事や感情が生じては消える「場」であり、「劇場」であり、そして同時に、それを見物している「観客」でもあると言えそうです。
もしあなたが今、大きな怒りや悲しみ、過去の後悔や未来の不安に気持ちが翻弄されているとしたら、ちょっと観察してみて下さい。
怒ったり、悲しんでいるのは実はあなたではなく、怒りや悲しみが、あなたという場を借りて現れ、あなたという劇場で上演され、そして瞬時に消えていく様を。
「自分とは何者か」がハッキリとすると、本当に必要なところにエネルギーを注ぐことが出来、不思議と人生がスムーズに進むようになります。そして段々と嫌なことが起きなくなり、何も無くても満ち足りて、微笑んでいる自分が生まれて来ます。
占いは、心のお片付け。
片付けてみるとそこには、あなたに発見されるのを待っていた幸せが、ずっと前からそこにあったことに、きっと気付くことでしょう。
そして空いたスペースに、素晴らしいアイディアが泉のように湧いて来ます・・・
昨日から日本列島が揺れ続けていますネ。
地球に溜まった不要なエネルギーを、日本国中から集まった龍たちがパクパク食べてくれますように・・・
ご無事をお祈りします。